環境カフェ

健康影響があった代表的な出来事

1960年に三重県四日市でぜんそく多発しました。これは日本の高度経済成長によってたくさん工場が作られ稼働された工場の煙突から有害な煙を排出し、人間がそれを吸って起きた病気を四日市ぜんそくと呼ばれるようになりました。
有害な煙の正体は、亜硫酸ガスで目や喉を刺激する有害物質で、石油中の硫黄分が燃えることで発生します。

1970年に東京、千葉で光化学スモックが発生しました。7月に東京の環七通りの学校で体育の授業中に生徒が目に刺激・喉に痛みを訴えました。原因は、自動車や工場の排出ガスに含まれる窒素酸化物や炭化水素が太陽の紫外線で化学反応を起こし光化学オキシダントが生成されます。この光化学オキシダントは、窒素酸化物や炭化水素の大気中濃度が高く、紫外線が高い時に高濃度になり大気中に白いモヤがかかったようになります。この状態を光化学スモックと呼んでいます。日差しが強く、風が弱くて気温が高い日に発生しやすい傾向があります。

1978年に自動車排気ガス公害「西淀川訴訟」(大阪市)が起きました。これは1930年以降、大阪の西淀川区には中小工場が比較的多く立地していたが、隣り合う兵庫県尼崎市と大阪市此花区が重工業化する中で高度経済成長期に阪神地区をつなぐ国道や高速道路が建設された結果、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下など、あらゆる公害が発生しました。特に、工場で重油を燃焼した時に発生する硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)が西淀川区に飛散し深刻な被害をもたらしたり、大型ディーゼル車などの排気ガスに含まれる窒素酸化物(NOx)や浮遊粒子状物質(SPM)による汚染も合わさって複合大気汚染と言われました。これらの汚染がぜん息などの健康被害を引き起こしました。

1982年に川崎公害訴訟(神奈川)が起きました。これは、公害病の川崎ぜん息とも言われ、昭和の戦前から戦後にかけて健康被害を出した日本の大規模な公害です。川崎市は京浜工業地帯の中心地域であり戦前から大気汚染の町でした。原因は、国の高度経済成長政策で石炭から石油への政治的エネルギー政策転換が行われて、川崎に大型コンビナートと道路網が建設されたことが大気汚染の原因です。

1999年にダイオキシン類対策特別措置法制定がされました。ダイオキシン類は、人間の生命及び健康に重大な影響を与える恐れがある物質であるため環境の汚染防止と除去のためにダイオキシン類に関する施策の基準を定めて必要な規制を定めることにより国民の健康の保護を目的とする法律です。
具体的には、
人が生涯にわたって継続的に摂取しても健康に影響を及ぼすおそれがない1日当たりの摂取量が設定された。(法第6条)耐容一日摂取量(TDI) 4pg/kg/日以下
人の健康を保護する上で維持されることが望ましい基準として環境基準が設定された。(法第7条)大気:0.6pg-TEQ/m3以下(年平均) 水質:1pg-TEQ/L以下(年平均) 水底の底質:150pg-TEQ/g以下 土壌:1000pg-TEQ/g以下

2013年に中国PM2.5高濃度汚染の越境問題が起こりました。PMとはParticle Matter(粒子状物質)の略で、PM2.5とは直径がおおよそ2.5μm以下の微小粒子物質のことです。1μmは1/1000mmです。よく例えられるのが、人間の髪の毛の直径ですが、70μmと比較すると小ささがわかるのではないでしょうか。なぜこの目に見えないほどの粒子が問題であるかというと人間が吸い込んでしまうと気管支や肺の奥まで入り込んでしまい、ぜん息や気管支炎など呼吸器系の病気のリスクを高めてしまうからです。このPM2.5が中国北京で高濃度で発生し偏西風に乗って日本列島に到達していました。PM2.5は、物を燃やすと直接発生します。火力発電所や工場、車などから排出される硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)、溶剤や塗料から発生する揮発性有機化合物(VOC)が大気中で太陽の紫外線と化学反応を起こして2次的に生じることもあります。

このエントリーをはてなブックマークに追加